50歳の再出発 生きる意味をもう一度考えてみる
人生の折り返し地点の半分ほどの年齢でもある50歳。
もうすぐ私自身も50になるのですが、病気の影響もあるのか?何事にも無気力になってしまいました。
60歳定年制が定着している日本。
定年後の人生について行き方について考える人が非常に多いみたいです。
まあ私自身もそうなんですけどね!
で最近「生きる意味」について考えることが多くなってきました。
子育て終了と子供たちの独立
10代後半から20代前半は、その日暮らしというか今日が楽しければいい・・・というスタンスで毎日遊びまくってました。
結婚して子供が生まれ、初めて自宅に子供と戻った日に、スヤスヤと眠る我が子の顔を見ながら「自分は父親としてこの子を育てていけるのだろうか?」と考えたことを昨日のことのように鮮明に覚えています。
その後二人目の子供が生まれ、子供たちを一人前に育てることが自分の目標になっていました。
目標というよりも、子供の成長が生きがいだったんだと思います。
子供たちも今では社会人となり親の手を離れましたが、それと同時に自分の生きがいを失ったように感じます。
子育てと言っても、私は良い父親ではなかったので子育ては妻が一人でしたようなものです。
それでも子供たちの成長は私にとっての生きがいでした。
子供を育てるということは色々と大変ですよね?
教育費とかお金のことを言い出したらキリがありません。
まだ子供たちが学生だった頃には、子育てが終わったら自分のやりたいことにお金を使える・・・とか色々と考えてましたが実際に子供が自分の手から離れてしまうと、心にぽっかりと穴が空いたような気分です。
こういうのって虚無感とでも言うんでしょうか?
よくわかりませんけど。
病める心と自分探しという謎の行動
生きがい、そして生きる目的を完全に見失ってしまった私。
これってかなり心が病んでいるように思います。
よく「自分探しの旅」とか聞きますが、これって豊かな国の人独特の謎の行動ではないか?と最近考えています。
例えば、戦争している国に生きているとしたら「明日生きていられるのか?」といった深刻な問題を抱えるわけです。
戦争とまで行かないとしても、貧しい国に生まれ最下層にいるとしたら、今夜の寝床とか明日の食べ物とか、生きることに直結することを考えなければなりません。
なぜこう考えてしまうのかといえば、インドネシアの首都ジャカルタへ遊びに行った時にストリートチルドレンを大勢見たからなんです。
まだ小学校低学年くらいの子供たちが、人が多く集まる繁華街や観光名所で物乞いをしています。
本当に普通に。
日本では考えられないですよね。
もしも自分が、この子達と同じ立場にいるとしたら「自分探し」などといった悠長なことなんて言ってられません。
明日生きていられるか?さえわからないんですから・・・・
人は必ず死にます。
これは子供だって知っっていること。
しかし「死」という問題を真剣に考えることなんて殆ど無いですよね?
特に日本という国は治安は良いし医療も発達しています。
明日のご飯が食べられないとか、強盗に襲われて殺されるとかは非日常的です。
こういった恵まれた国に生きているからこそ、死ぬということを真剣に考えない。
でも生と死は常に隣り合わせなんですよね。
死と向き合えば自ずと生きる意味が見つかるかもしれない
日本の平均寿命が著しく伸びました。
これは医療の発達のおかげだと思います。
実際に私自身が何度も手術受けてますが、本当に日本の医療技術は素晴らしいと実感しました。
医療技術の発達は確かに喜ばしいことですが、この弊害と言って良いのかわかりませんが「死生観を忘れる、死と真剣に向き合えない」という問題が出てきたと感じます。
実際に私自身も「死」というものは真剣に考えたことなんてありません。
もう一言言ってしまえば、「明日死ぬかも?」なんて絶対に想像もできません。
でも明日生きていられるかなんて、それこそ神のみぞ知るといったことですよね。
もしかしたら突然心臓が止まるかもしれないし、宇宙人が攻めてくるかもしれない。
あなたは明日死にます。
そう医者から言われたとしたら、それこそ真剣に悔いが残らないように時間を大切に使うことを考えます。
これは多くの人がそうではないかと・・・・
豊かなな国に生まれて死という現実とは程遠い暮らしをしていると、どうしても今日と同じ日常が永遠に続くという錯覚に囚われます。
また明日も同じ日常がやってくる。
そう思ってしまうからダラダラと時間を使ったりしてしまいがち。
まあ書いていて自分自身のことだな~と思ってますけど。
でも先程も書きましたが、もしかしたら明日突然死ぬかもしれない。
そう常に考えていたとしたら、今日という一日をもっと真剣に生きると思いませんか?
少なくとも私自身はそう思います。
生と死はコインの表と裏。
常に隣り合わせだと自分に言い聞かせ、日々真剣に生きるということを考えるようにすれば、生きる意味が・・・・なんて言うこともなくなり充実した日々を過ごせるんじゃないかな?
つい最近ですが、夜中に一人で考えてたどり着いた自分の答えです。
これが正解かどうかはわかりませんけどね!
でも生きがいを見つけることは大事だと思うんです
死と真剣に向き合うことで充実した時間を贈ることが出来る。
そう考えるのと同時に、やはり生きがいを見つけることも大切かなって思います。
日々大変だと感じていた子育て。
毎日嫌で仕方がなかった会社勤め。
この2つを失ってしまった今、自分は子育ても仕事も生きがいであり自分が生きていると実感する大切なことだったんだと実感しています。
人って失って初めて気がつくこと多いですからね。
今考えてみれば、この失った2つがあった頃は毎日が充実してました。
大変だったけど楽しい時間だったんだと。
そして今後は、この2つと同じように生きていること生きる意味を実感できることを見つけたいと思います。
もしかしたら永遠に見つからないかもしれない。
でも「見つけること」が生きがいになるかもしれない。
これも病んでいるのかもしれませんけど、自分が良ければいいかな・・・とも考えたりします。
もしもですが、孫とか生まれれば孫の成長が生きがいになるかも?
でもこれは望み薄ですけどね。
そうそう、今まで妻に何もしてやれなかったから・・・
妻にも楽しい時間をプレゼントするのも良いかもしれません。
夫婦仲は良いとはいえませんけど(笑)
ここまで長い記事を読んでくれたあなた。
あなたの生きがいって何ですか?
きっと私とは違い、素晴らしい生きがいというか目標を持っているのではないでしょうか?
これからの人生、お互いに素晴らしいものになるように頑張りましょう!!
それでは今回はこの辺で。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。