心が離れそうで、離れたくない――更年期という夫婦の分かれ道
夜、湯気の立つ湯飲みを手にしながら、ふと考えることがあります。
「どうしてこんなに、気持ちがすれ違うんだろう」と。
長く連れ添ってきた夫婦でも、50代に入ると、どこか見えない“壁”のようなものが立ちはだかる瞬間があります。
相手の言葉が引っかかったり、沈黙がやけに重く感じたり。
まるで、同じ家にいながら別々の世界を生きているような気がすることもあるんですよね。
私たち夫婦もそうでした。
些細なことで言い合いになり、「もう話すのはやめよう」とお互いが口を閉ざす。
あの沈黙の夜の冷たさを、今でも覚えています。
けれど今振り返ると、あれは“終わりのサイン”ではなく、“変化の始まり”だったのかもしれません。
妻はホルモンバランスの乱れで心も体も不安定になり、
私は私で、男性更年期による倦怠感や気力の低下に悩んでいた。
どちらかが悪いわけではなく、ただ、同じ時期に“心が揺らぐ季節”を迎えていただけなんです。
更年期は、決して「関係が壊れる時期」ではありません。
むしろ、“本当の夫婦”になるための再調整の時間なのだと思います。
お互いを変えようとするのではなく、「今はこう感じているんだね」と、ただ受け止め合う。
それだけで、空気が少しやわらぐ瞬間があります。
湯飲みを置いたあとに残る小さな輪の跡――
その静けさのように、心が沈んだあとにも、ちゃんと温もりは残っているんですよね。
本記事では、そんな“更年期という夫婦の分かれ道”をどう乗り越え、「もう一度、あなたと笑い合える関係」を取り戻すか。
私自身の経験をもとに、具体的なヒントをお伝えしていきたいと思います。
――あの沈黙の向こうに、確かに愛がありました。
あなたの心にも、きっと同じ灯が残っているはずです。
第1章 更年期に何が起こるのか ― “心の揺らぎ”を正しく理解する

朝、目が覚めると、窓の外の光がやけにまぶしく感じる日があります。
同じ朝なのに、気持ちは軽くなったり、沈んだり。
50代になってから、そんな“揺らぎ”が増えた気がします。
妻も、私も、今まさに更年期のまっただ中にいます。
夫婦そろって波のように心が揺れて、時々ぶつかりながら、それでも何とか前に進んでいます。
今日は、そんな私たちの“心の変化”について少しだけ話したいと思います。
女性のカラダと心に起こる変化
妻が「最近、自分でもわからないの」とつぶやいたのは、二年前の春でした。
突然顔が熱くなったり、夜眠れなかったり、涙もろくなったり。
エストロゲンという女性ホルモンの減少が、体と心のバランスを乱していく。
そう頭ではわかっていても、本人にとっては“何が起こっているのか”すらわからない日々なんですよね。
「どうして、こんなことで泣いてしまうんだろう」
「家族に当たるつもりなんてないのに」
そんな言葉を何度も聞きました。
私は最初、それをどう受け止めればいいのかわからなかった。
励ましても逆効果で、黙っていてもすれ違う。
でもある日、「悪気があるわけじゃない」ということに気づいたんです。
彼女のイライラや涙は、意地やわがままではなく、ホルモンの波が見せる“心の揺れ”なんだと。
その日から、私は少しだけ聞くようにしました。
答えを探すのではなく、ただ、聞く。
すると、妻の表情が少しだけ柔らかくなった気がしました。
湯飲みの湯気の向こうに、彼女の疲れと優しさが同時に見えたような、そんな夜でした。
実は夫にもある、“男性更年期”という現実
実を言うと、私も数年前からテストステロンの注射を月に一度打っています。
いわゆる“男性更年期”の治療です。
最初は「まだ早いだろう」と思っていました。
でも、気力が続かず、仕事中に集中力が切れて、何をしても心が重い。
たまたま観ていたTV番組で男性更年期障害の特集があり、チェックリストを試してみたら更年期の疑いありでした。
それを見た妻が一言・・・
「ねえ、あなたも体、診てもらったら?」
あの時の言葉が、私を救ってくれたのかもしれません。
テストステロンというホルモンが減ると、やる気も自信も、少しずつ削れていく。
それは決して“甘え”ではなく、体の自然なサインなんですよね。
妻が「変わった」と感じていた頃、実は私も同じように変わっていたんだと思います。
夫婦のすれ違いって、どちらかが悪いわけじゃない。
ただ、お互いに“変化期”を生きているだけなんです。
“不安定”は悪ではない ― 更年期は「再構築のタイミング」
この年齢になってようやく思うのは、“不安定”というのは、悪いことではないということです。
体も心も、これまでの形を手放して、新しいバランスを探している最中なんだと思います。
それは、家を建て直すようなもの。
少し軋みながらも、きっと強く、やさしくなっていく。
私たち夫婦も、衝突や沈黙をくり返しながら、少しずつ歩幅を合わせ直しています。
無理に笑わなくてもいい。
無理に前を向かなくてもいい。
お互いの“変化”を悪いことだと思わず、「今が整える時期なんだ」と受け止められるようになったとき、
不思議と心が軽くなるんです。
夜、ふたりで並んでお茶を飲みながら、「今日も一日、おつかれさま」と声をかけ合う。
それだけで十分だと思える日が、少しずつ増えました。
更年期は、終わりではなく、再スタートの準備期間。
焦らず、比べず、お互いの“今”を認めながら、生きていけたらいいですね。
――変わりゆくことを受け入れたとき、心の中に、やさしい光が差し込むような気がします。
日下部真美“揺らぎ”って悪いことみたいに聞こえるけど、変わるチャンスなのかもね。



そうだな。波があるからこそ、静かな時がありがたいんだ。



うん……嵐の後の空みたいに、少しずつ晴れていくのかもしれないね。



その空を、一緒に見ていけたらいいな。
第2章 更年期がもたらす夫婦のすれ違い ― 無意識の誤解と沈黙


夜の食卓で、妻と二人きりになったときのことでした。
カレーの匂いが残る食卓に、時計の秒針の音だけが響いていました。
お互い、言いたいことがあるのに、口を開けない。
そんな沈黙の夜って、ありませんか?
あの頃の私たちは、まさにそんな日々を過ごしていました。
「わかってほしい」と「理解できない」の溝
妻はよく「どうしてわかってくれないの?」と言いました。
私はそのたびに、「何をしても怒るじゃないか」と言い返していました。
今思えば、そのどちらにも“正しさ”なんてなかったんですよね。
妻は、「放っておかないでほしい」と言いたかったのかもしれません。
でも、私の耳には「責められている」としか聞こえなかった。
そして私は、逃げるように黙りこみました。
今なら少しだけわかります。
あれは“助けてほしい”というサインだったんです。
疲れや不安を誰かに受け止めてほしい。
でも、言葉にすると崩れてしまいそうだから、
強い言葉でしか表現できなかったんでしょう。
更年期の心の波は、本人にも読めない。
私たちは、互いの言葉を“翻訳”する力を持てずにいたのかもしれません。
「怒っている」ように見えても、その奥には「支えてほしい」が隠れている。
気づくまでに、少し時間がかかりました。
沈黙・無関心が関係を冷やす
口を開けばケンカになる。
だから黙る。
そんな日が続くと、会話が怖くなってくるんですよね。
リビングの空気が冷たく感じる夜。
テレビの音だけが、二人の距離を埋めているようで、
それがかえって寂しさを増していく。
沈黙は、優しさにもなるけれど、放っておくと、心の距離を広げてしまうものです。
ある日、妻が洗い物をしている背中に、私はそっと「ありがとう」と声をかけました。
その一言が、思いのほか自分の心を軽くしたんです。
返事はなかったけれど、妻の手の動きがほんの少しだけ、やさしくなった気がしました。
無理に話さなくてもいい。
ただ、一言と、目線。
それだけで、十分つながれる瞬間があるのだと、その時思いました。
ストレスの重なりが、関係を押し潰す
50代というのは、いろんなことが一度にのしかかってくる時期ですね。
仕事の責任、親の介護、子どもの独立。
そして、自分の体の不調。
心の余裕がなくなると、人は優しさの“キャパシティ”を失っていくんです。
妻の疲れに気づいていながらも、「俺だってしんどいんだ」と心の中で言い訳していた自分がいました。
でもある日、鏡に映った自分の顔を見て、「この人も、よく頑張ってるじゃないか」と思えたんです。
そこから、少しずつ変わりました。
相手を責めるよりも、自分を責めない。
完璧じゃなくてもいい、と思えるようになった。
そうして初めて、妻にも「あなたも大変だったね」と素直に言えるようになりました。
夫婦って、言葉よりも沈黙の時間のほうが多いものです。
その沈黙の中に、傷つきもあれば、優しさも、少しの希望もある。
私たちは、その静けさの中で、もう一度お互いの声を探しているのかもしれません。



ねぇ、“冷めた”って言葉、嫌い。



俺も。“落ち着いた”でいいじゃないか。



そう言ってもらえると、少し安心する。



言葉ひとつで、ちゃんとあたたかくなるもんだよね。
第3章 「支える」 ― 相手を変えようとせず、受け止める勇気


朝、食卓で湯気の立つ味噌汁を見ながら、ふと思いました。
「人を支えるって、どういうことなんだろう」と。
若い頃の私は、支えるという言葉を“助けること”だと思っていました。
困っている相手に手を差し伸べて、正しい道へ導くこと。
けれど50代になった今、少し考えが変わりました。
支えるとは、相手を変えようとしない勇気なのかもしれません。
共感よりも“尊重”を意識する
妻が更年期に入り、気持ちが不安定になった頃、私は何度も「わかるよ」と言って失敗しました。
「わかるよ」なんて、本当はわからないんですよね。
その言葉は、かえって相手の孤独を深めてしまうこともある。
ある夜、妻が涙をこぼしながら言いました。
「わかろうとしなくていい。ただ、そこにいてほしいの」
その一言で、私はようやく気づきました。
“共感”よりも、“尊重”が必要なんだと。
「そう感じているんだね」
たったそれだけの言葉でも、人は少し安心できるものです。
つらいときに正論を言わない。
それは、弱さではなく“優しさ”の一つの形。
肩を抱くより、黙って湯飲みを差し出す方が伝わる夜もあります。
支えるとは、行動で示す思いやりなんですよね。
感情の波に巻き込まれない“待つ力”
妻の気分が急に変わることがあります。
笑っていたと思えば、次の瞬間に静かになってしまう。
そんな時、以前の私は不安でたまらなかった。
「何か悪いことを言ったのか?」と自分を責めたり、「また始まった」と心を閉ざしてしまったり。
でも、ある時から“待つ”ことを覚えました。
感情の波に巻き込まれそうになったら、心の中で小さな傘をさすんです。
「これは、彼女の中で降っている雨なんだ」
そう思えるだけで、ずいぶんと気持ちが楽になりました。
距離を置くことは、冷たさではなく“信頼”の証。
「今は、何も言わなくていい」
そう思えるようになってから、夫婦の間に静かな優しさが戻りました。
お互いが“沈黙を恐れなくなる”と、心の距離は、逆に近くなるものですね。
聞く姿勢が、安心を生む
ある晩、妻が「少し話していい?」と切り出しました。
私はテレビの音を消して、ただうなずきました。
「どうしたの?」ではなく、「聞くよ」と言って。
話の途中でアドバイスを挟まないように、少し意識して“間”を置きながら聞く。
そのうち、妻の表情がゆっくりと穏やかになっていくのがわかりました。
人は、解決を求めて話すわけじゃない。
誰かに“受け止めてもらう”だけで、心がほどけていくこともあるんです。
言葉よりも、うなずきのリズム。
目を見てうなずく、その小さな仕草の中に、「大丈夫、あなたはここにいていい」というメッセージが宿る。
それが、支えるということの本質なのかもしれません。
50代になってから思います。
支えるとは、相手の変化を受け止めながら、自分の中の“焦り”や“正しさ”を手放すこと。
人は誰かを変えることはできない。
でも、受け止めることで、関係は静かに変わっていく。
妻が沈黙している夜、私はただ隣で茶をすする。
その湯気の向こうに、「今を一緒に生きている」という確かなぬくもりを感じます。
――支えるとは、言葉のない「大丈夫」を伝えること。
その静けさの中にこそ、本当の愛がある気がするんです。



支えるって、手を差し伸べることより、見守ることかも。



そうだな。風よけになれれば、それでいい。



何も言わなくても、ただ隣にいるだけで、支えになる時もあるね。



うん。その静けさが、いちばんやさしい支えだと思うよ。
第4章 「待つ」 ― 時間とともに変わる心を信じる


窓の外で、ゆっくりと風がカーテンを揺らしていました。
何もしなくても時間は流れていく。
それを眺めながら、ふと「待つ」ということについて考えていたんです。
若い頃の私は、“待つ”のが苦手でした。
夫婦の間で問題が起きると、すぐに「解決しなきゃ」と動きたくなる。
沈黙が怖かったし、何もしないことは“放っておくこと”のように感じていました。
でも、50代になってようやく気づいたんですよね。
ときには、動かないことで守られる関係もあるんだと。
一緒にいない時間が、関係を育てる
更年期を迎えてから、妻と過ごす時間が少し変わりました。
以前はなんでも一緒だったけれど、最近はそれぞれの時間を大切にしています。
妻は朝、庭の花に水をやりながらラジオを聴く。
私はその間、ゆっくりコーヒーを淹れて新聞をめくる。
同じ空間にいながら、別々の時間を過ごす。
それが、今はとても心地いいんです。
無理に寄り添おうとしない勇気。
それは、距離ができることを恐れないということ。
むしろ、距離は“呼吸できる空間”をつくってくれる。
昔は「いつも一緒にいなければ」と思っていたけれど、今は、“離れていても繋がっている”関係がいいと思うようになりました。
お互いに、自分の時間を持つ。
それが、夫婦を長く続けるための秘訣なのかもしれません。
沈黙の中にも“信頼”を残す方法
更年期というのは、心のバランスが崩れやすい時期です。
妻も私も、言葉が出ない夜が増えました。
でも、沈黙の中にも信頼を残すことはできるんですよね。
たとえば、妻が寝室にこもってしまった夜。
私はリビングのテーブルに小さなメモを置くことがあります。
「おつかれさま。今日は早めに休もう。」
ただそれだけ。
返事はなくても、翌朝の食卓に湯飲みが二つ並んでいると、ちゃんと伝わったんだな、と感じます。
直接話せない時期こそ、小さな手紙やLINEの一言が、心をつないでくれるものです。
「今は無理でも、大丈夫」
そういう一行が、相手の支えになることもあるんです。
焦らない夫婦ほど、長く続く
更年期の波って、数日で落ち着くものではありません。
数年単位で、ゆっくり変わっていく。
だからこそ、「治そう」と思うよりも、「待とう」と思うほうが楽なんですよね。
以前の私は、妻が落ち込むたびに“解決策”を探していました。
でも、ある時気づいたんです。
人の心は、外から変えられるものではない。
時間の中で、少しずつ整っていくものなんだと。
焦らないこと。
何もしない勇気を持つこと。
それが、夫婦関係を癒やすいちばんの薬なのかもしれません。
夜、妻と向かい合ってお茶を飲むとき、私たちはもう、無理に笑おうとはしません。
ただ、同じ時間を静かに分け合う。
人生の後半に差しかかった今、「待つこと」には深い意味があると感じます。
それは、あきらめではなく、信頼のかたち。
あなたはどう思いますか?
焦らず、比べず、静かに見守る。
そんな時間の中で、きっと関係は育っていくのだと思います。



待つことに疲れたら、休めばいいんだよ。



うん。ちゃんと風の向きは変わるから。



焦るより、いまを見つめるほうが大事なんだね。



そう。立ち止まる時間も、ふたりの物語の一部だよ。
第5章 「寄り添う」 ― もう一度“ふたり”として笑うために


夜、湯気の立つ湯飲みを挟んで、妻と向かい合いました。
特別な話をするわけでもなく、ただ「今日もおつかれ」と言い合う。
そんな時間が、最近は少しずつ増えてきた気がします。
50代になってからの夫婦は、若い頃のような勢いも情熱もありません。
でもその代わりに、「静かな寄り添い方」を少しずつ覚えていくんですよね。
感情を共有する“5分の夫婦ミーティング”習慣
更年期に入ってから、夫婦の会話が減った時期がありました。
お互いに心が疲れていて、「話すより黙るほうが楽」と感じていたんです。
でもある晩、ふと思いました。
このまま沈黙が続いたら、心まで離れてしまうんじゃないかと。
それから、1日5分だけでも“話す時間”をつくるようにしました。
寝る前に「今日どうだった?」と聞くだけ。
仕事の愚痴でも、ニュースの話でもいい。
大事なのは、“感情の温度”を交換することなんですよね。
「否定しない」「比べない」「遮らない」――この3つを意識するだけで、
妻の言葉が、以前よりも深く届くようになりました。
たった5分でも、不思議なことに心が少し整う。
言葉は、気持ちを繋ぎ直すための“呼吸”みたいなものだと、今は思っています。
小さなスキンシップが大きな安心を生む
ある日、妻と買い物帰りに並んで歩いていたときのこと。
信号待ちの間、何気なく手をつないだら、彼女が少し照れたように笑いました。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥が温かくなったんです。
「手をつなぐ」――それだけのことが、こんなにも心を近づけるんだと、改めて感じました。
触れ合うことで分泌されるオキシトシン、いわゆる“幸せホルモン”の存在を、最近よく耳にします。
でも私にとっては、科学的な理由よりも、「触れる」という行為そのものが、“心の再会”のように思えます。
妻と腕を組んで歩く、手を繋いで歩く。
これは男性更年期の方には効果的なんですね。
また更年期になると、身体的な悩みも増えますよね。
でも、性の話題を“恥ずかしい”で終わらせないことが大事だと思います。
「最近、ちゃんと触れ合ってる?」
そんな一言が、関係を前向きに変えるきっかけになるかもしれません。
寄り添うとは、言葉だけでなく“手の温度”で伝えることなんですよね。
「ありがとう」を言葉にするだけで、関係は変わる
50代になってから気づいたのは、夫婦関係を立て直すのに「努力」や「我慢」はいらないということ。
必要なのは、“感謝の言葉”を増やすことでした。
「ありがとう」って、不思議な力を持っています。
それを口にした瞬間、自分の心までやわらかくなるんです。
そして、その一言が、相手の中にも小さな灯をともす。
私たちはよく、「変わってほしい」と相手を見てしまいます。
でも本当は、自分の態度ひとつで、関係は少しずつ変わっていくんですよね。
朝、「ありがとう」で始まり、夜、「おやすみ」で終わる。
そんな一日を積み重ねていくうちに、少しずつ“ふたり”のリズムが戻ってきました。
寄り添うとは、相手に合わせることではなく、相手の存在を受け入れること。
更年期という揺らぎの中で、私たちはようやく「完璧じゃなくていい」ということを学びました。
無理に笑わなくてもいい。
でも、心が少し落ち着いたときに、そっと微笑み合える関係でいられたら、それで十分。
あなたはどうですか?
もし、今少し距離を感じているなら、今日、ほんのひとことだけ「ありがとう」と伝えてみませんか。
それだけで、きっと心のどこかが、やさしく動き出すと思うんです。



昔より、言葉が減った分だけ、目で伝わるようになったね。



そうだな。“無言の会話”ってやつだ。



目が合うだけで、あの日の気持ちを思い出す瞬間があるよ。



あぁ、あれはもう“恋”じゃなくて、“信頼”なんだと思うんだ。
第6章 「助けを求める」 ― 専門家の力を借りる選択肢


病院の待合室で、ふと壁の時計を見上げました。
針の音が、静かに空気を刻んでいる。
その小さな音を聞きながら、「ああ、やっと来られた」と胸の奥でつぶやきました。
更年期の症状が出始めた頃、私は“我慢すればいい”と思っていたんです。
男が体の不調で弱音を吐くなんて、情けない――そんな古い価値観に縛られていました。
でも、あのまま耐えていたら、きっと心まで壊れていたと思います。
我慢しないで相談を ― 医師・カウンセラーに頼る勇気
数年前から、月に一度、テストステロンの注射を打っています。
最初に病院のドアを開けるまで、ずいぶん時間がかかりました。
「こんなことで診てもらっていいのか」と自分に言い訳をしていたんですよね。
でも、医師の言葉を聞いたとき、肩の力がふっと抜けました。
「それは自然なことですよ。誰にでも起きることです」
そのひとことに、救われた気がしました。
婦人科や男性更年期外来、心療内科やカウンセラー。
専門家の力を借りることは、決して恥ずかしいことじゃない。
むしろ、それは“自分を大切にする行為”なんですよね。
妻も更年期の不調で婦人科に通っています。
最初は私も不安でしたが、今ではお互いの治療の話を自然にできるようになりました。
「今日はどうだった?」
そんな会話が、夫婦の新しいコミュニケーションになっていったんです。
ときどき、カウンセラーの存在を「他人に話すなんて」とためらう人もいますが、
私はむしろ、“夫婦の通訳”のような役割をしてくれると感じています。
言葉にできない気持ちを、やさしく翻訳してくれる人がいる。
その安心感だけで、少し呼吸が楽になるんです。
“第三者”が介入することで生まれる新しい対話
夫婦ふたりだけで解決しようとすると、どうしても視野が狭くなります。
そんな時、家族でも友人でもない第三者の意見が、まるで新しい風のように心に吹き込んでくることがあります。
妻と一緒に病院へ行った日、医師が「お二人とも、ちゃんと“助けを求める力”を持っている」と言ってくれました。
その言葉を聞いたとき、“助ける側”でいたかった自分が、ようやく“助けてもらう側”を受け入れた気がしました。
不思議なことに、誰かを頼ると、夫婦の距離も少し縮まるんですよね。
お互いに「味方が増えた」と感じるからかもしれません。
帰り道、薬局の袋を手に持ちながら、夕暮れの風に当たりました。
心の中の重さが少し軽くなっているのを感じました。
助けを求めることは、弱さではない。
それは、自分と、そして相手を大切に生きようとする“選択”なんだと思います。
あなたはどう思いますか?
もし今、ひとりで抱えこんでいるなら、ほんの少しだけ誰かを頼ってみてください。
人は支え合うようにできている。
そのことに気づいたとき、人生は少し、やさしくなります。



勇気を出すって、泣くことより難しい時もあるよね。



でも、一歩踏み出したら、ちゃんと道ができるもんだよ。



ひとりで抱えないって、大事なことなんだね。



そう。誰かに頼るって、心を生かすための知恵なんじゃないかな。
第7章 更年期を越えた先にある“第二の夫婦のかたち”


夕方の光が、リビングのテーブルをやわらかく照らしていました。
湯飲みから立ちのぼる湯気を眺めながら、妻がぽつりと、「ねえ、これから先、どんなふうに生きていきたい?」と聞いたんです。
その問いに、私はすぐには答えられませんでした。
でも不思議と、沈黙が心地よかった。
あの静けさの中に、「これからのふたりの時間」が始まっている気がしたんですよね。
子育てが終わったあとに始まる“ふたりの時間”
子どもたちが独立してから、家の中が静かになりました。
最初のうちは、その静けさが少し寂しかったんです。
けれど、ある日気づきました。
「これからの人生をどう生きるか」を、ようやく妻とゆっくり語り合える時間が来たんだな、と。
これまでずっと、家族の中心には“子ども”がいた。
でも、50代からは“夫婦”が主役に戻る。
それは少し照れくさいけれど、どこか誇らしくもあります。
自由というのは、若さではなく「心の余白」なんですよね。
お互いに無理をせず、支え合いながら、静かに笑い合える時間・・・・
それが、第二の夫婦生活のはじまりなのかもしれません。
静かに通じ合う“成熟した愛”
最近の私たちは、以前より会話が減りました。
でも、不思議と不安ではないんです。
言葉を交わさなくても、相手の気配でなんとなく分かる。
夕食後、並んでテレビを見ながら、同じ場面でふたり同時に笑う。
その瞬間に、長年連れ添った時間の積み重ねを感じます。
若い頃のような“ときめき”はないけれど、今あるのは、“安らぎ”という名の静かな愛情。
「一緒にいると落ち着く」――
それは、長い時間を共に生きてきた夫婦にとって、何よりの褒め言葉だと思うんです。
恋は燃えるけれど、愛は灯りのように、静かに人を照らすものなんですよね。
更年期を経て見つけた“本当のパートナーシップ”
更年期という時間を、私は「再構築の時期」だと思っています。
体も心も揺らぎながら、それでも一緒に乗り越えていく。
そこにこそ、本当のパートナーシップがあるのかもしれません。
私も数年前から治療を続け、月に一度、テストステロンを打っています。
最初は自分の弱さを見せるようで、どこか抵抗がありました。
でも今は思います。
“助けを借りながら生きる”ことこそ、強さなんだと。
妻の不調に寄り添いながら、私自身も支えられている。
その循環の中に、ゆるやかで確かな絆が生まれました。
更年期を越えた先にあるのは、“新しい夫婦”というよりも、“やっと本当の夫婦になれた”という感覚なんですよね。
夜、湯飲みを片付けながら、ふと思いました。
長い年月をかけて積み上げたものが、少しずつ形を変えて、やさしい光になっている。
あの沈黙にも、確かに愛があった。
そう思える今が、きっと一番幸せなのかもしれません。



更年期って、終わりじゃなくて“通過点”だったんだね。



そうだね。通り過ぎてみると、少し風がやさしい。



あの頃の私たちには想像もできなかったね。



でも今は、その風の中で、ようやく同じ歩幅で歩けてる気がするよ。
【まとめ】 更年期は“終わり”ではなく、“新しい愛のはじまり”


湯飲みから立ちのぼる湯気を見ながら、「人生って、こうやって温度が変わっていくんだな」と思いました。
若い頃のような勢いもなく、何かを“頑張る”よりも、“寄り添う”ことの方が大切になる。
50代というのは、そんな季節なのかもしれません。
更年期という言葉を聞くと、どうしても“終わり”のように感じてしまいますよね。
でも、私は違うと思うんです。
それは“始まり”なんですよね。
夫婦として、
人として、
もう一度お互いを見つめ直す時間。
体も心も揺らぐけれど、その揺らぎの中にこそ、やさしさや理解が芽生える瞬間がある。
理解しようと無理をするより、ただ“そっと支え合う”。
その静かな思いやりが、これからの人生をあたためてくれるのだと思います。
更年期を越えた先に待っているのは、新しい夫婦のかたちです。
言葉は少なくても、目を合わせれば伝わる安心感。
私たちも、まだ完全ではありません。
でも、こうして少しずつ笑えるようになった。
「もう一度、あなたと笑いたい」――
そう願った日々が、今、静かに叶いつつあります。
そして、これからも思うのです。
人生は、何度でも始められる。
夫婦もまた、何度でも生まれ変われるんだと。
【付録・行動ガイド】
更年期は、誰の身にも静かに訪れる“通過点”なんですよね。
焦らず、比べず、自分と向き合う時間にしていきましょう。
✅ 男女別セルフチェック:気分の波・睡眠・体温変化・疲れの度合いを一週間記録してみる。
✅ 「支える・待つ・寄り添う」3ステップ:話を聞く→距離を保つ→感謝を伝える。
✅ 信頼できる相談先:婦人科/男性更年期外来/心療内科/自治体の相談窓口。
男性更年期障害は泌尿器科でも受信可能です。僕は地元の泌尿器科へ通院しています。




【最後に】


更年期というのは、心と体のバランスが崩れて、どうしても自分を保つのが難しくなる時期なんですよね。
「なんでこんなことで怒ってしまうんだろう」
「なぜこんなに疲れるんだろう」
そう思いながら、自分を責めた夜が、私にも何度もありました。
妻も同じように、心が揺れていたと思います。
お互いに余裕がなくて、相手の言葉を“攻撃”として受け取ってしまう。
けれど本当は、どちらも“助けて”と叫んでいたんですよね。
今になって思うのは、夫婦の絆というのは、「わかり合うこと」よりも「わからなくても寄り添うこと」なのかもしれません。
沈黙があってもいい。
すぐに答えが出なくてもいい。
ただ同じ方向を向いて、“ここにいる”と伝え合うことができれば、関係は少しずつほどけていく。
更年期を越えて、ようやく気づきました。
私たちは“完璧な夫婦”になる必要なんてなかった。
大事なのは、不完全なままでも、共に笑える時間を重ねていくこと。
これからも、喧嘩もすれ違いもあると思います。
でも、そのたびに思い出したいんです。
あの苦しい時期を、どうにか越えてきたことを。そして、いま目の前にいる人が、人生で一番長く寄り添ってくれた“味方”であることを。
いつか、老後の夕暮れ。
二人で並んでお茶を飲みながら、
「いろいろあったけど、悪くなかったね」と微笑み合えるような夫婦でいたい。
更年期は終わりではなく、「もう一度、愛を学び直す時間」なんだと思います。
――あの沈黙にも、確かに優しさがあった。
これからも、あなたと笑える日々を信じて。
静かに湯気の立つ湯飲みを見つめながら、 私は今日もそう思うのです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



