2025年、夫婦で叶えたい3つのこと ― 新しい年の始め方

年の瀬が近づくと、街の灯りも少しせわしなく見えてきます。
大掃除、年賀状、仕事納め。やることに追われるうちに、夫婦でゆっくり話す時間が減ってはいませんか?
「気づけば、ただ日々をこなしていた」――そんな一年を終える前に、少しだけ立ち止まってみませんか。

新しい年を迎えるということは、“リセット”ではなく“リスタート”だと私は思うのです。
夫婦にとってそれは、改めて“どう生きたいか”を見つめ直すチャンスでもあります。
2025年を、笑顔で始めるために必要なのは、大きな目標や派手な計画ではありません。
たったひとつ、ふたりで決めた「小さな約束」――それが、これからの毎日をあたためてくれるのです。

この記事では、50代を中心としたご夫婦に向けて、“今年こそは”を実現するための3つのテーマをご紹介します。
「健康を守る約束」「一緒に旅をする約束」「感謝を伝える約束」。
どれも特別なことではないけれど、ふたりで続けていくうちに、暮らしの空気が少しずつやわらかく変わっていくはずです。

年始の抱負を立てるより、ふたりの“願い”を共有する――。
それは、家族でも恋人でもない“夫婦”という関係を、もう一度見つめ直す行為かもしれません。
たとえば、朝の散歩を一緒にする。
旅先で写真を撮る。
「ありがとう」を、きちんと口にする。
どんな小さな約束でも、それが未来の安心やぬくもりにつながっていくのです。

2025年は、忙しさの中に流されるのではなく、意識して“二人の時間”を作る年にしましょう。
たとえ短い時間でも、同じ方向を見つめる瞬間が増えれば、関係は自然と深まっていきます。
お互いを理解しようとするその姿勢こそが、夫婦の絆を強くする“日常の再生”なのです。

静かな夜、湯気の立つマグカップを挟んで、「今年はどんな年にしようか」と語り合う――。
その一言から、新しい一年が始まります。

あなたは、2025年にどんな“約束”を叶えたいですか?

このあとの記事では、そんな想いをかたちにするための「3つの夫婦の約束」を、
やさしい実践法とともにお届けします。
読み終えたあと、きっとあなたも、“夫婦で新しい一年を生き直す勇気”を手に入れられるはずです。

日下部真美

ねぇ、あなた。来年はどんな年にしたい?

日下部信親

そうだな……“穏やかに過ごす”って書こうか

日下部真美

うん。それ、いいね。でも“穏やか”って結構むずかしいのよ

日下部信親

じゃあ、試しに“穏やかにケンカする”ってことで

日下部真美

ふふ、それなら続けられそう


目次

第1章 「健康を守る約束」一緒に歩けば、未来はもっと優しくなる ―

健康は“自分のため”じゃない ― 二人で育てるライフプロジェクト

朝、窓を開けると、冷たい風のあとに湯気のような光が流れ込みました。
味噌汁の香りがやわらかく立ちのぼり、時計の針が静かに時を刻んでいます。

妻は黙って弁当箱を詰めていました。
その手の動きが、もう何年も見慣れた風景になっていたのです。
「健康に気をつけてね」――言葉にしようとして、喉の奥で止まりました。
たぶん、もう互いに言葉はいらないのだと思います。

若いころは、健康なんて“自分のため”のものだと考えていました。
運動も食事も、自分の体調を守るための行為。
けれど五十を過ぎて、腰痛や血圧、眠れない夜が増えるたび、
「自分のため」より「誰かのため」に生きることの重みを感じるようになったのです。

妻が作る温かな朝食を見ていると、その一杯の味噌汁の湯気の向こうに長い年月の“思いやり”が見える気がしました。
健康を守ることは、実は“二人の時間を守ること”なのだと、ようやく分かってきた気がします。

――それは、日々の暮らしを静かに育てていく“共同の約束”なのです。

「一緒にやる」から続く ― 小さな健康習慣のつくり方

夕暮れ、靴を並べて外に出ると、風が少し冷たくなっていました。
ウォーキングというより、ただの散歩です。
並んで歩くと、少しだけ距離が近づく気がするのです。

最初は妻に誘われました。
「歩くの、一緒にどう?」
正直、腰の痛みもあり、乗り気ではなかったのです。
でも、その誘い方がやさしくて、断る理由を見つけられませんでした。

歩きながら、話すことはほとんどありません。
ただ、街灯の光が影を伸ばすのを見たり、誰かの家の夕飯の匂いを感じたり。
そんな“何も話さない時間”が、いつの間にか、心をほどくようになっていました。

健康の習慣というのは、努力よりも「続ける空気」なのかもしれません。
妻が黙って靴を出してくれる朝、その沈黙の中に“続けよう”という合図がある気がします。
たとえ短い距離でも、一緒に歩くこと。
それが僕らにとっての「小さな健康習慣」になっているのです。

歩道の影が交わるたび、“もう少しだけ歩こうか”と、自然に言葉が出る。
そんな瞬間が、最近は少しうれしいのです。

会話のきっかけは「今日どうだった?」から始まる

夜、湯気の立つお茶を置いて、妻の向かいに座ります。
テレビの音が小さく流れ、その合間に「今日どうだった?」と声をかける。

それは、会話というより“合図”のようなものです。
仕事のこと、体のこと、夕飯の味のこと。
言葉の内容よりも、「話そうとしている」その姿勢が大切なのかもしれません。

人は健康を失って初めて、食べること、歩くこと、眠ることが“奇跡の連続”だったと気づきます。
でも、それを支えてくれる誰かの存在こそが、ほんとうの意味で“心の健康”をつくるのだと思うのです。

静かな時間の中で、僕の胸の奥に声が響きました。

――「理想を語るには、現実を知る覚悟がいる。」

それは、クワトロ大尉の声でした。
彼の冷静さの裏には、どれほどの後悔と、それでも前を向く意志があったのでしょうか。
僕も、そんなふうに“現実を受け入れながら進む”強さを少しでも持てたらと思うのです。

湯気がゆっくりと消えていき、妻がカップを持ち上げる音だけが部屋に響きます。
その静けさの中に、確かに“ぬくもり”がありました。

健康とは、体を守ることだけではない。
日々の静かな時間を、誰かと分け合うこと――
その積み重ねが、未来をやさしくしていくのだと思います。

あの夜の静けさにも、ちゃんと希望の灯があった気がします。

日下部真美

ねぇ、今日も歩く?

日下部信親

うん。寒いけど、ちょっとだけな

日下部真美

“ちょっとだけ”が、いちばん続くのよ

日下部信親

……たしかに。そういうの、あんた上手いな

日下部真美

長年の経験です


第2章 「一緒に旅をする約束」― 忙しさの中で、心を取り戻す旅へ ―

50代夫婦にこそ必要な“現実からの休符”

朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいました。
湯気の立つマグカップを手に、ぼんやりと時計の針を眺めます。
日々はいつの間にか、同じような時間の繰り返しになっていたのです。

妻は出勤前の支度をしていて、僕は書きかけの記事を前に、まだエンジンがかからない。
気づけば、会話のほとんどが「今日の予定」「晩ごはん」「体調どう?」になっていました。
お互いの顔を見ているようで、心までは見つめ合っていなかったのかもしれません。

そんなある朝、ふと妻が言いました。
「少し、どこか行こうか。」
たったそれだけの言葉でした。
でも、その声には“暮らしの隙間に風を通したい”という願いがあったのです。

50代夫婦の旅は、非日常ではなく“休符”に近い気がします。
演奏を止めるための沈黙ではなく、これからも一緒に音を紡ぐための間(ま)――。
そういう静けさを、僕たちは必要としているのだと思いました。

大げさじゃなくていい ― 週末1泊でも「夫婦の再発見」

目的地は、電車で一時間ほどの温泉地でした。
観光よりも、ただ“何もしない時間”を持ちたかったのです。

湯気に包まれた露天風呂に浸かりながら、僕は山の影が長く伸びていくのを見ていました。
「こうしてると、時間がゆっくり流れるね」
妻が小さく笑って言いました。

その笑みを見て、あぁ、こういう顔を最近は見ていなかったなと気づいたのです。
仕事も家事も、日々の生活の波にのまれ、僕たちは“余白”を失っていたのかもしれません。

旅の計画は、特別なものでなくていい。
むしろ、目的が曖昧なくらいがちょうどいいのです。
“歩く”“食べる”“眠る”――そんな当たり前のことを、もう一度、二人で確かめるための時間。

夕方、街の灯りがともりはじめる頃、宿の廊下に射す光がやわらかく揺れていました。
その光の先に、静けさがあり、その静けさの奥で、僕はひとつの声を聞いた気がします。

理想の夫婦像を追いかけるよりも、“現実の二人”を受け入れることの方が、どれほど勇気のいることか。

その声が、湯気の中で静かに胸に落ちていきました。
理想と現実の間にこそ、いま僕たちが立っている場所があるのです。

旅の余韻が、次の会話を育てる ― 思い出を“残す習慣”を

帰りの電車の中で、妻がスマートフォンの画面を見ながら笑いました。
「この写真、あなた寝てるのよ。」
彼女の声が少し弾んでいて、その響きに救われるような気がしたのです。

旅の余韻は、思い出というより“呼吸”のようなものです。
その呼吸が、また明日の会話を生むのだと思います。
「次はどこ行く?」
そんな何気ない言葉が、心を少しずつ再生させていく。

家に帰ると、夕食の湯気が静かに立ちのぼり、窓の外では光がゆっくりと影を伸ばしていました。
旅は終わっても、その“やわらかな時間”は心の中で続いていたのです。

僕たちは、完璧な夫婦ではありません。
けれど、同じ景色を見たという記憶が、日々の会話を少しだけ優しくしてくれる。

旅とは、遠くへ行くことではなく、“自分たちの距離を見つめ直すこと”なのかもしれませんね。

カップの湯気が消えていく。
そのあとに残った静けさの中で、僕はひとつ深く息をつきました。

――また、あの光の方へ歩いていこう。

その思いが、未来の約束のように胸に灯っていたのです。

日下部信親

あの宿、また行きたいな

日下部真美

いいけど、今度はあなた計画立ててね

日下部信親

俺が? 方向音痴のくせに?

日下部真美

だからこそ、あなたの勘で動く旅も面白いのよ

第3章 「感謝を伝える約束」― 言葉ひとつで、夫婦の空気は変わる ―

「言わなくても伝わる」は卒業しよう ― 感謝を言葉に戻す勇気

朝、味噌汁の湯気が立ちのぼり、窓辺に差す光がカーテンをやわらかく透かしていました。
妻が台所で包丁を動かす音。
その静けさの中で、僕はいつものように新聞をめくっていました。

「言わなくても伝わる」――長い夫婦生活の中で、その言葉を、何度も自分への言い訳にしてきた気がします。
照れくささや、気恥ずかしさ。
感謝を口にするほどのことじゃないと、勝手に線を引いていたのかもしれません。

けれど、最近ふと思うのです。
“言わなくても伝わる”ことよりも、
“言葉にして伝える”ことの方が、
ずっと難しく、そして尊いのではないかと。

妻の手が止まった瞬間、「いつもありがとう」と言おうとして、喉の奥で言葉が動けなくなりました。
その沈黙の重さに、自分の不器用さを感じてしまうのです。

でも、それでも、伝えなければならないことがあります。
感謝は、思っているだけでは届かない。
声にした瞬間に、はじめて“形”になるものなのです。

「ありがとう」を形に残す ― ノート・付箋・LINEの魔法

日曜日の午後、光の射すリビングで、僕は机の上に小さなノートを置きました。
「感謝ノート」なんていう名前をつけるのも照れくさいけれど、書いてみると、意外に心が静まるものです。

“コーヒーを淹れてくれた”
“洗濯物を干してくれた”
ほんの些細なことばかり。
でも、書き終えたページを眺めていると、生活の影の中にも、確かなぬくもりがあったことに気づきます。

最近では、付箋に一言メモを書いて、冷蔵庫やカレンダーに貼るようになりました。
「お弁当おいしかった、ありがとう」
「早く寝ようね」
それだけのことでも、心の距離がほんの少し近づくのです。

スマートフォンの画面越しに、短いLINEの“ありがとう”が届く夜もあります。
その一行が、疲れた心をそっと撫でてくれるのです。

言葉とは、不思議な灯のようなものですね。
光の届く範囲は小さいけれど、確かに、そこに温度を残してくれる。

感謝の積み重ねが、老後の安心と穏やかな日々をつくる

夜、二人で並んでテレビを見ていました。
画面の音が消えたとき、部屋の中に、静けさがすっと流れ込みました。
その瞬間、胸の奥で、長い間しまっていた言葉が、やっと形を持ったのです。

「いつもありがとう」

妻は少し驚いたように僕を見て、それから小さく笑いました。
「どうしたの、急に」
その笑みが、光のようにやわらかく揺れていました。

そのとき、心の奥に、もうひとつの声が響いた気がします。

――「人は、傷ついてもまたやり直せる。」

カミーユ・ビダンの声でした。
彼の言葉には、怒りと優しさが同居していました。
過去の痛みを抱えながら、それでも“赦し”に向かう勇気。
僕はその声に背中を押された気がしたのです。

夫婦の感謝は、特別な言葉ではありません。
むしろ、何度も繰り返すことで、暮らしの中に“安心”という静けさをつくっていくのだと思います。

湯気の立つカップを見つめながら、これからも少しずつ、「ありがとう」を積み重ねていこうと思いました。

その言葉が、やがて老後の穏やかな時間を照らす
小さな光になるような気がするのです。

日下部真美

今日の味噌汁、ちょっと薄かった?

日下部信親

いや、ちょうどいい。……ありがとう

日下部真美

え? いま“ありがとう”って言った?

日下部信親

たまには言うよ

日下部真美

じゃあ、たまにはもう一回言って?

日下部信親

……ありがとう


第4章 「願いの見える化」― 手帳がつなぐ、ふたりのこれから ―

予定を書くより“心を書く” ― 共有手帳という新しい習慣

朝の匂いが、湯気のようにゆっくりと部屋に満ちていきました。
カーテンの隙間から差し込む光が、食卓の上の手帳を照らしています。
妻が新しいページを開いて、何かを書き込んでいました。

「来週の予定、ここに書いておくね」
そう言う声の奥に、“これからも一緒に過ごしていこう”という静かな願いを感じたのです。

これまで、予定はそれぞれの頭の中で管理していました。
仕事、通院、買い物、約束。
けれど、どんなに便利なスマートフォンよりも、
手書きの文字には“心の呼吸”がある気がするのです。

誰かの文字を見ると、その人の体温が伝わります。
少し崩れた文字も、書き慣れない丸文字も、そこには「その人の時間」が刻まれているのです。

予定を書くというより、心を書く。
それが、僕らの“共有手帳”の始まりでした。

3つのページで始める“夫婦ノート”のつくり方

最初のページには、「今日のひとこと」を書きます。
お互いに、感謝や小さな気づきを一行ずつ。
“夕飯の味噌汁がおいしかった”
“洗濯ありがとう”
そんな一言が、思っていた以上にうれしいのです。

二つ目のページは、「これからやりたいこと」。
旅行の計画、健康の目標、庭の手入れ。
どれも大きな夢ではないけれど、文字にして並べると、暮らしの中に“希望の地図”が描かれていく気がします。

そして三つ目のページには、「今日の気分」を書くようにしました。
愚痴でも、不安でも、なんでもいい。
それを見た相手が、ただ“分かってくれる”だけで、不思議と心が落ち着くのです。

共有ノートとは、お互いの“沈黙の声”を読み合うための一冊なのかもしれません。
そこに書かれた言葉たちは、まるで光の粒のように、僕らの距離を少しずつ照らしていくのです。

書くことで想いが形になる ― 会話を取り戻す一冊の力

夜、テレビの音が止まりました。
部屋に静けさが落ち、机の上のノートだけが、薄い光を受けていました。
妻はページをめくり、僕の書いた文字を指先でなぞります。

その指の動きに、言葉以上の“対話”があるように思いました。

僕はペンを手に取り、そっと一行を書き加えました。
――「明日、どこか歩こうか。」
その瞬間、妻が微笑んだのです。

音の消えた夜の中で、ひとつの声が心の奥に響きました。

――「理想を語るには、現実を知る覚悟がいる。」

再び、クワトロ大尉の声が聞こえます。
理想の夫婦という言葉に、いつも少し戸惑っていました。
でも、書くことで“いまの現実”を見つめ直す勇気が持てるのだと思います。
文字は、過去と未来をつなぐ細い糸のようなもの。
たとえ揺れても、切れない。
そこに、二人の呼吸があるのです。

ページを閉じると、光の余韻が部屋に残りました。
その静けさの中で、「書く」という行為が、これからの“約束”に変わっていくのを感じたのです。

ノートに残るインクの影が、やさしく揺れていました。
その影こそ、僕らのこれからを照らす
小さなぬくもりなのかもしれませんね。

日下部信親

ノート、見た?

日下部真美

見たけど……あなたの字、昔より優しくなったね

日下部信親

老眼で力入らなくなっただけだよ

日下部真美

ふふ、それでも伝わるの。不思議よね


第5章 「年のはじまりを、静かに祝う時間」― 暖炉のように心を灯す夜に ―

テレビを消して、湯気の向こうにある静けさを味わう

夜の窓辺に、外の光がぼんやりと映りこんでいました。
年の瀬の空気はどこか重たく、それでいて、少しあたたかかったのです。
テレビを消すと、部屋に静けさが戻ってきました。
その瞬間、湯気の立つマグカップから、かすかな香りがふわりと漂いました。

「今年もいろいろあったね」
妻の声がやわらかく響きました。
僕は小さくうなずきながら、湯気の向こうに、彼女の笑顔を見つめていました。

この一年、失ったものも、手に入れたものもありました。
健康、仕事、家族との距離――
どれも、思うようにはいかないものばかりです。
それでも、こうして同じ部屋で過ごせることが、いちばんの“奇跡”なのかもしれません。

光の粒が、カーテンの端で揺れていました。
その揺れが、心の奥をやさしく照らしていたのです。

「何を手放し、何を残すか」を語る年越しの会話

除夜の鐘が遠くで鳴っていました。
音が届くたび、過ぎていく時間の重さを感じます。

「来年は、もう少しゆっくり生きたいね」
妻がそう言いました。
その声は、どこか風のようで、
寂しさよりも希望を含んでいるように思えたのです。

「何を手放して、何を残そうか」
僕がそう返すと、彼女は少しだけ考えてから、
「焦る気持ち、かな」と笑いました。

焦りを手放して、代わりに“穏やかさ”を残す――。
それは、若いころには見えなかった“幸せの形”かもしれません。

光がゆっくりと消えていき、部屋の奥に静寂が落ちたとき心の中で、ひとつの声が響きました。

――「無理だって分かってても、やんなきゃなんねぇ時もあるんだ!」

孫悟空の声でした。
その言葉には、子どものような明るさと、どこか大人の覚悟が混ざっていました。

人生の節目とは、“もう一度挑む”ための小さな再生なのかもしれません。
たとえゆっくりでも、止まらないこと。
それが、僕らにできる最初の“願い”なのです。

小さな約束が未来を支える ― 2025年の最初の一歩を、二人で

新しい年の朝。
外はまだ薄暗く、空気が凛としていました。
台所からは、味噌汁の匂いが静かに流れてきます。
その香りが、眠っていた記憶をやさしく揺らしていくのです。

「今年も、よろしくね」
妻が湯気の向こうから微笑みました。
その言葉が、まるで灯のように胸の奥を温めてくれました。

年始の約束なんて、大げさなものはいりません。
「無理をしない」「よく笑う」「ありがとうを言う」――。
それだけで、人生は少し優しくなる気がするのです。

新しい手帳の最初のページに、僕は小さく書きました。
――“焦らず、笑って、生きること。”

その文字が光に照らされ、ページの影が静かに揺れていました。

窓の外では、冬の朝の匂いがしていました。
光の粒が、まるで再生の合図のように踊っている。
この小さな部屋の中に、
たしかに未来の息づかいがありました。

「また一年、よろしく。」
その一言に、すべてが込められている気がしたのです。

湯気の消える音が、ゆっくりと静けさに溶けていきました。
その静けさこそ、僕らの“始まり”なのかもしれませんね。

日下部真美

ねぇ、今年はどんな一年にしたい?

日下部信親

うーん、“無理せず笑う”かな

日下部真美

じゃあ私は、“あなたに怒らない”

日下部信親

……無理だな、それ

日下部真美

そう思った。だから“怒っても5分以内”に訂正する

日下部信親

それなら現実的だ

日下部真美

しょ? 夫婦の約束は、そのくらいでいいの

【まとめ】― 静けさの中で、また歩き出すために ―

湯気の立つカップ、ページに残るインク、そして言葉の余韻。
それらはすべて、「今を生きる夫婦」の小さな証なのかもしれません。

50代という時間は、“過去を手放し、未来を整える”ための静かな季節です。
大きな変化を求めるよりも、日々の会話や感謝、そして共に過ごす穏やかな時間こそが心を再び温めてくれます。

これまでの章で綴ってきたのは、派手な幸せではなく、“続けていく勇気”の物語でした。

旅の約束、感謝の言葉、手帳に書いた願い。
そのひとつひとつが、これからのふたりを照らす灯になります。

僕たちの暮らしは、完璧ではないし、いつも順調とも限らない。
けれど、静けさの中で見つけた小さなぬくもりが、明日を生きるための支えになる。

だからこそ、2025年を「もう一度、心を寄せ合う年」にしようと思うのです。

✨最後に

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
この物語のどこかに、あなた自身の“静かな光”を見つけてもらえたなら、
それほど嬉しいことはありません。

どうか、あなたの一年が穏やかで、
そして心あたたかな時間に包まれますように。

―― 日下部信親

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